知っているのに、遠い。

遠くで起きたことを、私たちは画面で知ることができます。

それでも、知ることと、心に留めることは同じではありません。ひとつの知らせに胸を痛めたあと、次の知らせへ移る。そのあいだに、自分の食事があり、仕事があり、明日の予定があります。

自分の暮らしを営むことは、無関心であることと同じではありません。すべての悲しみを一人で背負うこともできません。

けれど、何もできないと思ったとき、すべてを忘れるほかに道はないのでしょうか。

誰かの暮らしを、自分の感情を動かすための物語にしない。知らないことを、知っているように語らない。その人自身の言葉に耳を傾ける。そして、聞いたことを神の前に持っていく。

祈りは、現実から目をそらすためではなく、もう一度、その人に目を向けるための時間になり得ます。

今日、世界のすべてを考えなくてもかまいません。ひとつの場所、ひとつの暮らしを、心に留めてみませんか。

今号の問い

私が「遠い」と思っているのは、距離でしょうか。
それとも、その人の暮らしをまだ知らないことでしょうか。

A SMALL RESPONSE

祈りのあとに、ひとつ。

心に留まった知らせをひとつ選び、その人自身の言葉や、出典の確かな情報をもう少し探してみませんか。

遠く感じていた暮らしについて、新しく知ったことはありますか。

自分の言葉を、綴る

言葉から、ひらく。

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